2019年12月17日火曜日

日光の北野神社

受験シーズンを前に、日光の願掛けスポットを紹介します。

二社一寺ではなく、瀧尾神社のある滝尾道に向かいます。開山堂を過ぎると左手に鳥居があり、その奥の崖の下に、学問の神、菅原道真が祀られている北野神社があります。

新しく設えられた灯籠の裏面に、この神社の由緒が詳しく書かれていました。

「亀戸天神の創建者である大鳥居信幽が霊夢によって全国に天満宮二十五社を建立する願いを立て・・・」とあります。




亀戸天神の由緒を調べてみると、縁起は菅原大鳥居信祐となっています。「しんゆう」という読みはいっしょですが、「ゆう」の字が違います。しかし、たしかに日光にも来ていて、その後に亀戸にたどり着いた旨が書いてあるので、同一人物なのでしょう。

大鳥居というのは神職の呼び名なのかと調べてみると、ひとつの姓で、菅原道真の末裔家とのこと。そのため、亀戸天神のほうでは菅原姓も併記しているようです。

北野神社にはもうひとつ、立て札に解説が掲げられていて、そこには「寛文元年(一六六一)筑紫安楽寺の大鳥居信幽が勧請したものである」と書かれています。

筑紫安楽寺とはどんなところなのか、気になります。調べてみると、神仏習合時代の太宰府天満宮にあった寺でした。大鳥居家は廃仏毀釈の前まで太宰府天満宮の宮司家だったそうです。

つまり、太宰府天満宮の神官だった信幽(祐)が亀戸天神とともに開いた神社ということになります。

ということは霊力あらたかと言えるでしょう。

さて、滝尾道の北野神社の先に、手掛石という大岩があります。解説の立て札には「滝尾神社の女神、田心姫命(たごりひめのみこと)が、お手を掛けた」とあり、名前の由来はそこにありますが、そのあとに「北野神社に詣でた帰りにこの石に手を掛けて祈願すると、字が上達する」と続いています。

先日、『日光の故実と伝説』(星野理一郎著)を読んでいて、この神社の部分も目を通していました。それが頭に残っていて、この立て札を見たとき、違うことが書いてあることに気づきました。

同著には、「手掛け石を小さくかき、家に持ち帰ると、学問と字が上達する」と書かれているのです。

実際、砕いた痕はあるのでしょうか。ぐるりと確認してみますが、楔を打ち付けたような痕はありません。(写真上:道路側 下:滝尾道側)


じつは、周辺を歩いて、表現の違いやその意味が、なんとなく類推できました。

理由のひとつして、時代とともにお参りの仕方が変化したということも考えられます。






境内のようすを少々。

鳥居や御神体の岩には天満宮の梅紋が刻まれています。









天満宮、天神には牛の像が奉納される習わしがあり、ここでも祠を静かに守っています。