2019年12月13日金曜日

中ソネの観音様と日光円蔵

先日、ネットを徘徊していたところ、や○ざの番付なるものの画像を目にしました。


 上段左に国定忠治が名を連ねています。お、ということは、日光円蔵もいるのか?と、列を目で追っていくと、その下の段にやはり載っています。(画像が表示されていない場合、リンクをクリックしてください)

日光円蔵とは、国定忠治の軍師を務めた博徒です。日光の宇都宮寄りにいまもある板橋というところの出身とされているようです。

円蔵といえば、確か、鳴虫山に連なる山中にある小さな岩窟のなかで、隠れて博打をうっていたというようなことをどこかで聞いたような読んだような。

その場所がここです。鉢石町の裏手から鳴虫山に登っていく途中、少しコースを外れた場所にあります。この尾根は中ソネと呼ばれ、祀られている観世音菩薩は、中ソネの観音様と呼ばれています。登山のガイドブックなどでは岩屋観音などとも称されているようです。



壁面がすす汚れており、『日光の故実と伝説』(星野理一郎著)という本のなかで、これは日光奉行所の役人や警察の目が届かないことをいいことに、博徒や泥棒が隠れ家にして火を焚いた痕であると書かれています。ここを円蔵も隠れ家にした、というようなことを聞いたか読んだ気がしていたのですが、同著にはその記述がありませんでした。

はて。もう少し資料をあさってみます。『日光修験 三峯五禅頂の道』(池田正夫著)のなかにもこの場所についての記述を見つけました。鳴虫山一帯は修験の修行のために開かれた山道の一部だったことがあり、この観音様の洞窟も、道場のひとつに挙げられています。大永七年(1527年)に行なわれた修行の記録にすでにこの地が登場しますが、観音様(観世音菩薩像)には承応四年奉納というと刻銘が残っているようです(承応四年は1655年)。

聖なる場所で博打などとバチが当たりそうですが、『日光の故実と伝説』では、観世音菩薩のお慈悲の恵みを求める悲願もあったのだろうとしています。岩窟は北東向きの斜面にあり、実際は寒くてそれどころではないようにも思います。

円蔵について、その記述を拾い出すことはできませんでしたが、『日光の故実と伝説』では、そもそも、「お婆さんたちが春秋のいい季節にこの洞窟の写真なかでお念仏やご詠歌をやるところになっていた」と 記しています。

尾根道からの分岐にはこんな標石が残されています。

『日光修験 三峯五禅頂の道』によると「右なきむし山」、「左かんおん堂 女講中」 と読むとのことです。ここまでふもとから歩いて1時間ほどです。講中と記されているあたり、やはり修行僧だけでなく、地元の庶民にも親しまれていた観音様だったのでしょう。

いまは植林地の薄暗い林の奥に鎮座しますが、そのあたりを抜ければ、今やアカヤシオの名所として名高い鳴虫山頂上に至ります。