2019年12月4日水曜日

二社一寺と瀧尾神社の石垣観察

紅葉の混雑シーズンも、ひと段落。
朝霜に光る境内のようすなど見たいかも、と思い立って、二社一寺世界遺産エリアをぶらついてきました。

朝八時半。東照宮参道は、小学生の団体しかいません。いまの時期の平日はだいたいこのようなもの。

しかし、気温が高くて、霜が降りていませんでした。orz












むしろ、柔らかな日差しを浴びて、石垣などいい雰囲気です。
ふだんあまり気にして眺めることもなかったのですが、よく見ると幾何学模様にきっちりと組み合わせられています。重さ自体相当なものであり、よくもまあ人力だけでこれほどのものを組み上げたものです。

そういえば、東照宮の大鳥居は、江戸城などの石垣普請にも当たった黒田長政による奉納です。また、城郭建設に重用された藤堂高虎が東照宮の縄張を行い、その部下を石垣工事に当たらせたそうです。

そういった優れた技が活かされたのでしょう。

東照宮の南には、造営時に職人が住んだことにちなんで、匠町という地名が残されています。それらのうち、石匠の技が地元に根付き、いろは坂の石垣などに生かされていると聞いたこともあります。もともとあるいろは坂は現在の下り線で、この石垣は、匠の技によって、その後に新設された上りのそれよりも強固にできているという見方もあるとのことでした。


そんなことをふと思い出して、石垣に注目してぶらつくことにしました。


これは、二荒山神社の裏手から、北側の瀧尾神社へ続く坂の石垣。手積み感があります。ここは修行に使われた道でもあるので、小僧などが駆り出されて造営したのかも、などと勝手に想像してみたりします。






坂の頂上に、役小角を祀る行者堂があります。その前の石垣は、低い位置で途切れていて、上からその積まれ方を見ることができます。

つまり、できるだけ平らな面を前に向けて重ねていっていることがわかります。













坂を降りていくと、石畳になります。これもおそらく、平らな面を上にして並べたのでしょう。しかし、積み上げる必要もないので、とりあえず平らな面があればいい石を使ったと思います。












坂を下ると、瀧尾の道といわれる参道です。道の縁には排水するための溝が設けられていますが、ここも石垣を並べる手法が用いられています。よく見ると、金具(楔)を打ち込んで割って平面をつくった石も混じっています(向かって左列)。












瀧尾神社の鳥居です。丸い穴めがけて3回、石を投げ、通すことができると幸運に恵まれるとのこと。周囲に誰もいなかったので、こんなときは挑戦し放題かもしれません(←おい)。












瀧尾神社の本殿を囲む玉垣(石柵)の下面が目に入ったので覗き込んでみると、上部の石のほう、石柱をはめる部分は浅く削ってあり、しかも、ずれることを見込んで若干の遊びもできています。写真ではわかりにくいかもしれないので気になるかたはご自身の目でお確かめください。




ちょっと話が脱線しますが、東照宮鎮座前の、修験道の盛んな時代は、瀧尾神社側にも僧坊があったようで、室町時代に訪れた連歌師の紀行文には五百坊を見渡すと記されています。
参道から稲荷川方面を見下ろします。この方面でしょうか。いまや跡形もありません。








瀧尾の道を戻っていきます。ふもとへと降りていくと、路肩の石垣は素朴なものに変わります。このへんも、修行僧や駆り出された庶民らによる手積みの印象がします。













参道沿いの大きな杉に挟まれた岩は、もとはといえば、石垣の石だったのかもしれません。














東照宮が背にしている小山を挟んだ反対側の、仏岩というところによってみます。

いまは、梵天、不動明王などの古い時代の信仰をしのばせる像が並んでいますが、そもそもは頭上の岸壁に、仏の姿をした岩があったため仏岩と名付けたとのこと。例えば矢印のあたりなども、見ようによってはなにかのレリーフに見えなくもありません。











その付近に崩れ落ちていた岩です。おそらくこういう岩を運び出して石垣に用いたのでしょう。ほかに、女峰山の山麓の林に入っていくと、楔を打ち込んで割ろうとした跡が残る大岩を見かけることがあります。

岩石の鋭角の面は、大雑把に言うと火山活動によって噴出した溶岩が急に冷やされてできる、と習ったような。石垣がたくさん造れたのも、女峰山や男体山のおかげのようです。






仏岩には日光開山の祖、勝道上人の墓があります。

その石垣を眺めていてびっくり。楔を打ち付けた跡が残る石を使っています。この角にふさわしい石を探すのは、それはそれでたいへんだったのかもしれません。














さらに二社一寺方面へと下っていきます。

ここは養源院という僧坊があった場所付近です。途中で石垣の組み方が変わっています。奥のほうが江戸時代初期に建てられた院のあった場所。東照宮の石垣に似て、きれいにきっちりと重ね合わせられています。手前の石垣の感じは、きょう歩いて見てきた石垣からすると、それよりも前に組まれたもの、あるいは、職人筋ではない人によるものと推測できます。


最後は、長坂(ながさか)という、二社一寺参道入口付近の石垣。

角の直線とそれに向かう面のアールの美しさと言ったらもう。

二社一寺を文字通り縁の下から支えてきた匠の技を感じて歩いた一日でした。いや、一日もかかりません。一周してだいたい2時間です。




最後に、神橋前のモミジがまだ紅葉を残していたので撮影しておきました。

ここは日当たりがよく温かいので、もみじもまだ秋と勘違いしているようです。