2020年7月2日木曜日

宿の現状と対策

再開に向けてゆっくり動き始めているような、そうでもないような。

今後はとりあえず、

・宿泊組数を制限

・食事は組ごとに入れ替え制

・風呂も組ごとに貸し切りで、時間制にして入れ替え

で対応させていただくというような方向性?

詳しくは宿までお電話で確認ください。

二社一寺のようすは改めて書くことにします。



2020年3月18日水曜日

恵比寿さまと大黒さま。そして家康さま

いやな病気が流行っていますね。当旅館の玄関には、雛飾りに変わって、七福神から二柱に登場願っています。













めでたい鯛を抱えているのが恵比寿さま。古くは漁業の神だったようですが、その後、商いの神としても崇められています。

小槌と福袋を持っているのが大黒さま。食べ物や財宝、開運を司る神様です。日本神話のなかの大国主神(おおくにぬしのみこと)と習合して扱われます。この神さまは医療の神さまの一面もあるとのこと。ご利益にあやかりたいものです。


















さて、このふたつの像の脇を固めるのが、女将お手製の手芸の品。鶯や桜です。鶯は日光付近でもそろそろ鳴き声が聞かれるはず。いや、私はまだですが、もうすでに鳴いているかも。桜は例年、4月の後半です。その頃までに、流行病が収まってくれるといいのですけれども。













そうそう、日光東照宮の本尊、日光大権現(家康さま)の神仏習合における本地仏は薬師如来です。文字通り、医療の仏さまです。古くは、天然痘などの流行時に各地で祀られました。家康さま、どうか、お力を今一度お貸しくださいますよう。


2020年2月12日水曜日

鉢石宿のひな祭り

日光の二社一寺に向かう国道のうち、神橋の手前一体は、かつての日光街道の最後の宿場であり、いまも鉢石という町名として残っています。

宿場の面影を残す建屋は少なくなりましたが、この時期、各家の軒先に雛飾りを飾る行事が行われています。

いろいろな家庭で、いろいろな思いを託され引き継がれてきた人形たち。


当旅館でも、入り口に飾っています。




寒さのなかにも、穏やかな日差しを感じられる時期になりました。

バスや車でただ通り過ぎるのは、少々もったいないかもしれません。







2019年12月31日火曜日

12月31日 当館からの女峰山の眺め

暖かい年の暮れを迎えています。
不思議なことに、この気温のなか、風花が舞っています。上空はやはり寒いままなのかもしれません。旧日光市街地より標高が高い場所は、それほどこの高い気温の影響を受けてないように見受けます。


29日の当館から女峰山の山並みの眺め。











そして今日、31日の眺め。山中はあまり雪が溶けていないようです。


29日、30日あたり、奥日光から下りてくる車は、屋根に雪を載せたままでした。

31日現在、二社一寺周辺までは路面にまったく雪はありません。ノーマルタイヤで、もちろん問題ありません。




2019年12月23日月曜日

1月3日は外山毘沙門天の縁日です。

寄る年始を前に、日光に根付く、日光ならではの正月行事をご紹介します。日光駅など門前町より女峰山の方面を眺めると、二社一寺の東寄りに小さく突き出た山が見えます。それが外山(とやま)です。登山口のあるふもとまで、当館や二社一寺から、歩いても15分程度です。

この頂上には小さな毘沙門堂があり、1月3日に縁日が開かれます。お坊さんたちが待つそのお堂では、祈祷札、火除、金運祈願などのお守りの授与が行われるほか、福銭貸しという独自の習俗が続いています。

この福銭貸しというのは、お堂で100円を借りたら(100万両と表現しているようです)、そのご利益を頂戴して商売を繁昌させ、翌年同日に倍額200円を奉納して返すという習わしです。もともとは、この貸し借りを繰り返してどんどん倍額にしていく、というのをどこかで読んだか聞いたのですが、これまた確かな記述を見つけるに及ばず。

そもそも外山の毘沙門天は、日光開山と同時期に始まった瀧尾神社の鎮護のために置かれたものだそうです(『日光史』星野理一郎著)。毘沙門天は天台宗において本尊を守る位置付けであり、日光で天台修験が盛んに行なわれた時代にはその役割もあったかと思われます。さらに毘沙門天は商売や勝負の神様として崇められる面もあることから、福銭のような習慣も生まれたのでしょう。

また、『日光山志』という江戸末期にまとめられた地誌には、外山は将軍が日光へ参詣する際の遠望台でもあり、当時は宇都宮、壬生まで眺めることができたと書かれています。

現代では、地元の幼稚園の遠足地になっていたり、中高生はマラソン登山したりというような親しまれ方をしています。

お参りするうえで、ひとつ注意点があります。登山口から暗い林内に入るとすぐ、鳥居を数個くぐることになります。その意識のままお堂へお参りしてしまうと、つい柏手をうつことになります。ところが、ここは現在、日光山内二社一寺のうち輪王寺のものとなっていて、参詣するみなさんは仏式でお祈りしています。神仏習合の面影を強く残し、これも古い歴史を感じさせる一面です。

ふもとからは普通に歩いて片道1時間弱です。親子連れや、杖を使ってゆっくり上るご年配の方などの姿も見受けます。しかし、頂上付近は岩場で、手すりを伝って上り下りするようなところもあります。ある年は残雪が凍ってつるつるの場所もありました。途中、落ち葉が積もって滑りやすいところもあります。靴はしっかりしたものがいいでしょう。

多くの参拝客で混雑する二社一寺とは別に、地域に根ざした信仰を経験する初詣も趣きがあります。いかがでしょうか。



お堂の横からさらに奥へ進むと、大黒天や毘沙門天の素朴な石像が祀られる本来の頂上に至ります。その北側は眺望が開かれ、女峰山から大真名子山、男体山の山並みが眼前に迫ります。






2019年12月17日火曜日

日光の北野神社

受験シーズンを前に、日光の願掛けスポットを紹介します。

二社一寺ではなく、瀧尾神社のある滝尾道に向かいます。開山堂を過ぎると左手に鳥居があり、その奥の崖の下に、学問の神、菅原道真が祀られている北野神社があります。

新しく設えられた灯籠の裏面に、この神社の由緒が詳しく書かれていました。

「亀戸天神の創建者である大鳥居信幽が霊夢によって全国に天満宮二十五社を建立する願いを立て・・・」とあります。




亀戸天神の由緒を調べてみると、縁起は菅原大鳥居信祐となっています。「しんゆう」という読みはいっしょですが、「ゆう」の字が違います。しかし、たしかに日光にも来ていて、その後に亀戸にたどり着いた旨が書いてあるので、同一人物なのでしょう。

大鳥居というのは神職の呼び名なのかと調べてみると、ひとつの姓で、菅原道真の末裔家とのこと。そのため、亀戸天神のほうでは菅原姓も併記しているようです。

北野神社にはもうひとつ、立て札に解説が掲げられていて、そこには「寛文元年(一六六一)筑紫安楽寺の大鳥居信幽が勧請したものである」と書かれています。

筑紫安楽寺とはどんなところなのか、気になります。調べてみると、神仏習合時代の太宰府天満宮にあった寺でした。大鳥居家は廃仏毀釈の前まで太宰府天満宮の宮司家だったそうです。

つまり、太宰府天満宮の神官だった信幽(祐)が亀戸天神とともに開いた神社ということになります。

ということは霊力あらたかと言えるでしょう。

さて、滝尾道の北野神社の先に、手掛石という大岩があります。解説の立て札には「滝尾神社の女神、田心姫命(たごりひめのみこと)が、お手を掛けた」とあり、名前の由来はそこにありますが、そのあとに「北野神社に詣でた帰りにこの石に手を掛けて祈願すると、字が上達する」と続いています。

先日、『日光の故実と伝説』(星野理一郎著)を読んでいて、この神社の部分も目を通していました。それが頭に残っていて、この立て札を見たとき、違うことが書いてあることに気づきました。

同著には、「手掛け石を小さくかき、家に持ち帰ると、学問と字が上達する」と書かれているのです。

実際、砕いた痕はあるのでしょうか。ぐるりと確認してみますが、楔を打ち付けたような痕はありません。(写真上:道路側 下:滝尾道側)


じつは、周辺を歩いて、表現の違いやその意味が、なんとなく類推できました。

理由のひとつして、時代とともにお参りの仕方が変化したということも考えられます。






境内のようすを少々。

鳥居や御神体の岩には天満宮の梅紋が刻まれています。









天満宮、天神には牛の像が奉納される習わしがあり、ここでも祠を静かに守っています。

2019年12月15日日曜日

こたつ出しました。

当旅館のチェックアウトは10時なのですが、ぎりぎりまで部屋でぬくぬくと 過ごされる方が多くなりました。

朝はやはり冷え込みますが、日光のまちは山の南側に開けていて、風がなければ、みなさん思われるほど寒くはありません。

それと、日がのぼってから、ゆっくり出ていくのがおすすめ。この時期は二社一寺の参拝客も少なく、静かに見て回るにはもってこいなんです。そんな、旅慣れたお客さまも多いようです。